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いたずらものの再訪−穂高未来稲荷

プロジェクトタイプ

サウンド・インスタレーション

日付

2024年1月

場所

長野県,安曇野市

安曇野でフィールドリサーチをしていた作者・郁川は、大雨の影響で偶然「稲荷山駅」に着くという不思議な体験をした。この偶然の出会いをきっかけに、安曇野の多くの場所にキツネのいたずらにまつわる民話が残されていることに気付いた。

内山節の『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』(講談社現代新書)によれば、キツネの民話は単なる作り話ではなく、かつての人々は身体や生命を通じて世界を捉えていたため、本当にキツネにだまされていた。一方、現代人は知性で世界を認識するようになり、キツネにだまされる能力を失ってしまったという。安曇野では道祖神を中心とした文化が根付き、道祖神祭りや御柱立て、御船祭りなどの行事を通じて、自然と共同体のつながりが維持されてきた。この世界観の中で、安曇野の"ご先祖さま"はキツネと交わり、そのエピソードは民話や地名、寺社に残してきた。郁川が偶然導かれた稲荷山は、まさにキツネの痕跡が多く残る地であり、この地で生きた人々は、この風土の中で「キツネにだまされる能力」を育んできたのだろう。

郁川の作品では、祠の御神体に見立てたiPhoneに触れると、安曇野の民話においてキツネが仕掛けたとされる「いたずら」を象徴する音が、椅子の下や天井など思いがけない場所から聞こえてくる。鑑賞者が空間に「いたずら」を仕掛け、他の居合わせた人を驚かせる仕組みになっている。

また、内山は「身体や生命による認識や判断」を「直感」と表現している。郁川は「キツネに誘われている」という直感を得て、穂高未来稲荷を建てたが、これはこの地にキツネの痕跡を残し続けた安曇野の「ご先祖さま」やキツネたち自身が、現代人を再び身体・生命の世界へ誘おうとしているのかもしれない。

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